父親との確執について(6)
そして、現在。
あれから私は妊娠して結婚、出産、育児を経て職場復帰を果たし、弟も高校卒業してアルバイト先にそのまま就職、母も何度か転職していましたが文句言いながらもなんとか暮らしているところです。
が、先日従兄弟(姉1夫婦の息子)からLINEで連絡がきました。
「重たい話になるけど、○○ちゃん(姉2)から許可もらったので、伝えます」
「まず、4月中旬に○○ちゃん(姉2)に「仮釈放になって某所の施設に入る」「その施設で寝泊りしながら社会復帰を目指していく」と連絡があり、ゴールデンウィークに一度会うことになっていたらしい」
「それで、なかなか連絡が来ないと思っていたら、5月2日の夜に警察から連絡があって、その施設で首を切って自殺したと……」
「その電話で警察は引き取るか否か決めてくれと言われて、○○さん(私の母)に連絡したらしいけど繋がらなくて(番号変わったの教えてなかった)、あと前に○○ちゃん(姉2)が「もう俺に関わらないで」って言われてたこともあったみたいで、姉1夫婦と姉2で引き取らないと決めたって」
「そのときに警察はむうこたちの存在を知らなかった(身元引受人が姉2だから?)らしく、警察にむうこの電話番号を伝えてあとは任せていたんだって」
「むうこも電話番号変わってたから、結果伝わってなかったみたい」
「今はもう火葬も済んで、某所にあるお寺に無縁仏として納骨されてるらしい」
「むうこや○○さん(私の母)が警察にきけば、どこのお寺か教えてもらえる」
「俺経由で○○ちゃん(姉2)に聞いて教えてあげることもできる」
「色々あったけど、俺たちが従兄弟なのに変わりはないし、むうこさえ良ければこれからも仲良くしてほしい。お互いの子どもたちもいるし」
従兄弟とLINEしながら、私は並行して母にもLINEしていました。そして内容もすべて伝えました。
母はなんとなく予想していたものの、やはり軽いショックを受けているようでした。
そしてお互いで踏ん切りをつけるために、最後の挨拶だけしにお寺へ行くことにしました。
しかし弟はまだ知りません。母は「あんなのでも父親だったし、ショックは受けると思う」ということでアレとの共通の友人に相談してから弟に伝えるか決める、決まったらまた連絡する、とのことでした。
私は一通り従兄弟や母とのLINEが終わってから、夫の寝室へ行き、簡単に「父親だった人が、死んだ」とだけ伝えました。夫はただ黙って私の頭を撫でてくれました。
泣くつもりなんてなかったのに、それから嗚咽が止まらなくて、泣きながらもう少し詳しいことも話しました。夫はうんうんと静かに聞いてくれました。
泣き止んで落ち着いてから、夫に寝ていたのに起こしたことを詫び、娘の寝ている部屋へ戻り、毛布をかけなおしてやってから就寝。
翌朝起きると、夫は至って普通に、いつも通り「おはよう」と言ってきました。今はその日常が助かります。
かくして父親との確執は、あっけなく幕を閉じました。
父親との確執について(5)
それから数か月後、私たちはまだ母の実家に住んでいました。
出て行ったほうがいいのは分かっていても次に住む場所を決めている余裕などなく、またそんなお金もありませんでした。
当時の私は渋谷にある中学・高校生向けの進学塾で受付事務をやっていました。フリーターです。
シフトの都合で23時退勤なんてのもありましたが、地元沿線は終電が早く、23時50分には某駅にいないと終電に乗れない状況でした。
バイト先から渋谷駅まで徒歩10分、渋谷駅から某駅までは45分くらいかかります。タイムアタックです。帰宅するころには0時半になっています。
帰ってから夕飯を食べていたので、0時半に冷めた夕食をレンチンしてニュースや深夜番組を見て風呂に入って……というような生活を数日続けていたことがありました。
そんなある日、叔父(母の弟)が夕食をレンチンしている私に怒鳴り込んできました。
叔父「毎日こんな時間まで何やってんの?」
私「え、仕事だけど……」
叔父「もっと早くに帰るとか、遅いならもっと静かに過ごしてくんねえかな」
私「えーっと、飯食うなってこと?働いてるのに?」
叔父「は?テメエ調子乗ってんじゃねえぞ」
私「何、殴るの?」
叔父「……ッ!!」
最後のは想像ですが、こんな感じで叔父は血走った目をかっぴらいて、振り上げた拳を換気扇のフードにぶつけて自室へ戻っていきました。
言ってませんでしたが、縦にも横にも大きい叔父は、パニック障害で数年前に退職してから引きこもり・ニート・PCゲーム音出してやり放題・ゲームしながら文句も言い放題・買い物は週に1度・作る料理は油まみれ・嫌韓・FXで祖父の年金溶かしマンです。
何これクソ役満?
翌日の朝、叔父は2階の部屋で出勤準備している母に私の文句を言っているようでした(私は途中で起きた)。
あとから母に話を聞くと「確かにお前は言葉が荒い。でもアイツ(叔父)の言い分もおかしい」という感じでした。言葉遣い荒くてスマンなママン。
また数か月経って、今度は私ではなく弟が叔父に陰湿なことをされているらしいと分かりました。
直接弟に話を聞くと「俺が下(居間)で深夜テレビを小さい音量やイヤホンで見てたりすると、アイツがトイレに行くついでに居間の電気を消していく」……絶妙にストレスかけてきやがる……陰湿!!!
この件があってから母はより引っ越す決意を固めたようで、安い県営住宅などを探していましたがどうにも決まらず、結局ボロアパートに引っ越して暮らすことになりました。
このころには私も現在の就職先で働き出していたので、環境が色々変わったけどこれから頑張るゾイ!って感じで頑張っていました。
父親との確執について(4)
0時を過ぎて暫く経ったころ、私たちの乗っている車の後ろに、1台の乗用車が停まりました。おそらく覆面パトカー。
母だけ呼ばれて車内でお話しをしているようで、私と弟はそのまま母の車で待機。
ここでも時間がゆっくりに感じられました。
弟と今後についてぼんやり話していると母が戻ってきました。
結論から言って、現時点でまだ先日家宅捜査で押収された薬品の検証が終わっていないので、今日この場でアレを連行することはできないということでした。
正直、私は絶望しました。もう一刻も早くアレを逮捕してほしいのに。
うちにいはいらない存在なのに。
その後、さすがにそのまま家には戻れないので、徒歩5分ほどの場所にいる母の実家へ行くことに。深夜でも祖父(当時70代)が起きていて助かりました(叔父=母の弟もいますが後述します)。
母の実家では警察の方々がそれぞれ祖父、母、私、弟に状況説明と事情聴取をしていました。
私についていてくれたのは比較的若くて顔立ちのきれいな男性だったのをうっすら覚えています。
母の実家は2階がまるっと空いているので、そのまま3人で使わせてもらうことになりました。
そして、その日はちょっと臭い布団を敷いて、家族で川の字になって興奮冷めやらぬまま眠りにつきました。
翌日の夕方、伯父(アレには2人の姉がいて、1番目の姉の旦那さん。今回の騒動も知ってる)から私の携帯に着信がありました。
「慌ただしいときに連絡してごめんなんだけど、じいさん(アレの父親、たしか80代)が死んだ」
「玄関先で倒れたみたいで、ばあさん(認知症)が三和土まで引きずって入れたらしい」
「勿論○○(アレ)のことがあるから、無理に来てほしいとは言わないけど、一応知らせておこうと思って」
「○○さん(私の母)にも伝えてもらえると助かる」
伯父の言う通り、私は電話を切ってすぐ、隣で話を聞いていた母にそのまま説明しました。母は最初びっくりしていましたが、「いや言われなくても行かんわ」と薄く笑っていました。
少し日を置いて、祖父の告別式が執り行われました。喪主はもしかしたらアレだったかもしれません。あんなんでも長男だったので。
そして、式が終わるとともに、外で待機していた警察の方々によって取り押さえられ、連行されていったそうです。
ここで一区切りついたかなー、とこのときは思っていました。
アレが捕まっても、母との離婚が成立していませんので、ここから母は留置所に行ったり裁判所に行ったり色々奔走させられることとなりました。
母から聞くところによると、アレは一丁前にも「俺がここを出るまでは離婚届にサインしない」「俺のいないところで好き勝手されたらいやだ」と文句を言っているようでした。一切理解できません。というか好き勝手やりやがったのはテメエだろ。
それを聞いてから頭に来た私が「留置所に行って話してくる」と私が住所や受付時間を調べようとすると、母が泣きながら「行かなくていい、いいから」なんて言うので、2人して泣いちゃったり。
と、すったもんだはありましたが、6月9日(ロックの日!)に無事離婚届を提出しました。母は迷ったそうですが、変更手続きが面倒・母自身、旧姓(漢字1文字)が好きじゃない・弟の名前が苗字ありきになっているという事情から、離婚後も苗字はそのままでした。
そうして平和に暮らしはじめて最初の夏、今度は伯母(前述の姉1、専業主婦)から連絡がありました。
「おばあ(アレの母、多分80代)が、家で亡くなってた」
聞くと、伯母は毎週決まった曜日に祖母をデイサービスへ送迎していたようです。その日も家へ迎えに行き玄関をあけると、ムワアッとした熱気が出てきて、入ると窓は閉め切られている。呼びかけながら祖母を探すと、台所で熱くなって倒れていたようでした。完全に老人の熱中症。
自宅で亡くなってしまったので色々面倒だったようですが、もうアレも捕まっていることだし……と、義理を果たすために葬儀に顔だけ出すつもりでした。
結局、香典を受付に渡して記名したときに「あの…ご親族ですか?」と言われてしまい、場慣れしていない私と弟はそのまま親族席に座らされてしまいました。母はすぐ帰るつもりでいたので、外で車を周回させて待機していたのですが、式中に携帯を触るわけにもいかず。
祖母はもうずっと前からボケが始まっていたので、アレが捕まったことは知らせていませんでした。なんにも知らないまま死ねていいなあ、と母が呟いていた記憶があります。
父親との確執について(3)
仕方なしに母は迎えに行って、クソ実父は帰るなり
「国家権力様のお世話になっちゃいました~ww」
と全開酔っ払いモード。うぜえええええええええええ
本当に心底うざい。今すぐ迷惑をかけない方法で遺伝子を残さず死んでくれ。
そのまま2階の自室へ籠りに行ったので、私が母から警察署であった話を聞いて、今後私たちが知っていることや警察が家に来たことをバレないようにどうするか、弟へはどう説明するのかをこそこそと相談していたら、クソ実父の自室から大きめの物音。
探し物をしているようなガサゴソ、ドタン!というような音が少しして、すぐバアン!!!と引き戸が荒々しく開けられました。
「俺の部屋あさったの誰だ!!!!!」
ドスン、ドスンと階段を下りてきます。
階段を下りきって、さっきよりは少し小さな声で、でも低い声で「俺の部屋あさったの誰だよ……」と言いました。
ソファに腰かけていた私の前、クソ実父との間に母が立って
「私たちは何もしていません」
毅然と返しました。
クソ実父は小さく舌打ちをして、トイレに行きました。その間に私は自分の部屋へ行き、家宅捜査のときに来ていた女性警官に「何かあったら連絡してください」と渡されていた番号へ電話をかけました。
おそらく23時頃だったと思います。
トイレの天井が階段だったので、恐らくクソ実父は足音を聞いている。
リビングには母1人。2階には私と弟。
このときの私は、母が殺されるんじゃないかと気が気ではありませんでした。
電話をかけている間も手が震え、座っているのに足の感覚はなく、保留にされた間が悠久に感じました。
止まらない涙を拭うこともせず、保留になっているのに電話の向こうにむかって「はやく」とうわ言のように繰り返していました。
ようやく保留音が鳴り止み、「少し遅くなるかもしれないが、今から向かいます」と聞こえました。
ひとつ深呼吸をしてから、リビングへ戻ると、既にクソ実父は自室へ戻っていました。
母と合流し、弟を呼び寄せて、私たちは魔窟と化した家から脱出しました。
とはいえ行く先はありません。
ひとまず母の車に乗り込み、少し離れたところから家を観察してクソ実父が逃げないよう見張りつつ、頼みの綱である警察の到着を待ちました。
ないものの話
どうも、むうこです。
突然ですが私には何もありません。
義務教育終了後、程度の低い県立高校を卒業して、
推薦で受かった文系私立大学は1年で中退し、
それ以降は数年フリーター。
今はさすがに正社員で就職してるけど、仕事内容はついていける気がしない。
そもそも脳みその出来がよくないので、人と口論になると疲れて諦めてしまう。
腕っぷしも強いわけはないから殴り合いの喧嘩もできない。
それ以前に私は臆病者だ。
妊娠してから結婚して主婦になって、いわゆる主婦業もきちんとできない。
正社員になってからの収入も、夫の年収の1/3以下。
そして今現在は育児休業中でほぼ無職。
実の父親は犯罪を犯して塀の中へ。
母はそのクソ親父の分までがむしゃらに働いて、私と弟を育ててくれた。
でも、私には何もない。
縁があって子どもを産んだ。
でもきっと我が子は、こんな母親ならいらないと言うと思う。
早く言葉を話せるようになってほしい。
反面、いつまでも今が続けばいいとも思う。
小学校時代から10年以上仲良くしていた友人も、些細なきっかけで離れていった。
私には何があるのか。
父親との確執について(2)
一度目の離婚から、3年後。私は中学校への進学を控えていました。
私たちは母の実家からとあるアパートへ引っ越していました。
何故かクソ実父もいます。萎縮しているような様子もありません。
母が言うには「仲直りしたから、むうこも中学にあがるし、いいタイミングかと思って……」と。
要は復縁です。
いうに事欠いて何が ”いいタイミング” なのか?
第一、私に相談もなく話を進めていたのが心底気に入らない。父親なんぞいらん、と吹っ切れた頃にコレです。このときは母にも苛立っていました。
しかし中学生(まだだけど)、言い返す言葉もなく流れに身を任せることしかできませんでした。
今の私がすっ飛んで行って全力で止めたい。
そして、また母の旧姓からクソ実父の姓になりました。
中学進学後、同じ小学校だった人は当然「なんで苗字違うの?」と遠慮なしに聞いてきます。12歳じゃ当然です。
私もアホの子なもんで、馬鹿正直に「離婚してた両親が再婚したから」とか答えちゃいます。馬鹿です。
しばらくこのネタで揶揄われることになります。本当に馬鹿。
それから数年は平和なもんでした。
私が高校進学してから(相談も報告もなしで)土地購入して庭付きの家を建てたり、
クソ実父が退治した黒くて速いアレの死体を、煙草のカートンケースに入れて笑いながら私を追いかけてきたり(トラウマ)、
某文系私大に推薦で受かって、入学金はいくらだとかいう話をしていたら「こんなにかかると思わなかった(年100万+入学金。両親は高卒就職)。大学進学は申し訳ないが諦めてほしい」と言われたり、
上の話を受けて、母が祖父に借金を申し込んだり(私が返済する)、
3.11東日本大震災が起きて、大学の入学式が1か月遅れたり。
結局大学は1年通って中退して、21歳くらいのころだったでしょうか。
フリーターになっていた私は、夕方からのバイトに備えて昼寝していました(夜勤でもないのに)。
半分起きてうとうとしていたころ、インターホンが鳴りました。
母は着替えているようで出ません。再度鳴るインターホン。しつこいです。
次に気付いたときには、母が慌てて私を起こしにきて、「警察が来た」と言いました。
なぜ警察?
私や母に用はない様子でした。……アイツか。
このときはちょっと来ただけのようでした。自宅にクソ実父がいるか確認しにきたのでしょう。
察しの良い方は気付いているでしょうけど、実はこのころ、とある事件が起きていました。
クソ実父の仕事は長距離トラックの運転手です。日本各地に荷物を移動させていました。
クソ実父の同僚が、ある日千葉県の国道で衝突横転事故を起こし大怪我を負いました。当然入院です。
入院のため検査をしていると、尿検査で覚せい剤に陽性反応があったそうです。
同僚は既婚者だったので、奥さんも検査させられました(こちらは陰性)。その流れで、こちらも当然ですが社員全員が尿検査対象です。
クソ実父だけが検査から雲隠れしました。そういうことです。
昔、テレビを見ながら田○まさしを嘲笑っていたんですけどね。
「覚せい剤なんてやるのは馬鹿だ」と。
アンタに人様を馬鹿にする資格なんぞない。アンタが一番救いようのない馬鹿だよ。
後日、家宅捜査の令状を取った警察の方が来て、文字通り家宅捜査をしていきました。
結果、クソ実父の生活していた2畳くらいの部屋から、注射器(謎の透明な液体1ml入り)と、ラベルのはがされた水?入り500mlペットボトル(赤いプチプチがひとつずつ切り離されて入ってる)、トンカチ(毎夜ゴンゴンしててうるさかった)が見つかりました。
警察の方は、母に注射器を見せて、液体を指さすように指示して、その写真(証拠写真?)を撮影して、母に事情聴取をして、調書を書いて、帰っていきました。
その日のうちに、母の携帯へ県警の生活安全課から電話がありまして。
「ご主人がバスで帰宅していたようだが、泥酔していて、終点についても下りないのでバスの運転手が困って警察を呼び、こちらで身柄を保護しています。身元引受人として来ていただけないでしょうか?」
ということでした。
いやもう、そのまま留置所ブチ込んでくんないかな。
父親との確執について(1)
どうも、むうこです。
今回は私のクソ実父について記録していきます。
”記録”という観点でみると長いうえに複雑な内容、かつ人を選ぶ内容となると思われますので、
「あ、無理だわ」
と思ったら即閲覧終了していただいて構いませんので。
自衛してくださいね。
ないとは思いますけど、「こんなん読みたくない!」とかの苦情は受け付けませんからね。
あ、あとこれもないと思いますけど、本記事に関する一切の質問は受け付けません。
ここに書いてあることが全てです。
さて、前置きが長くなりましたが、本編にまいりましょう。
私のクソクソ実父は2018年現在50代前半、痩せ型の眼鏡です。
しかし母が二度目の引導を渡す少し前から姿を見ていないので、今はどうなっているのか知りませんし、知りたいとも思いません。
というか、音信不通です。一切合切消息不明。
遡ること数十年前の初夏、私が8歳のときに弟が生まれました。
私は暢気に「弟だ~赤ちゃんだ~」なんて思っていたのですが、両親はおだやかではなかったようです。
弟にとって初めての冬、私は母と弟と3人で車に乗っていました。
母は黙って車を走らせています。
とあるアパートの前で最徐行になり、
「……とうちゃんって、あんなGパンの干し方しないよね」
と独り言のように呟くと、さーっとまた走らせて帰路につきました。

※この時の、物干し竿に通して干されているジーンズ
少し経ってから、家族みんなで母の実家へ行きました。
しかし、両親と祖父は1階、私は2階へ押しやられました。
「大人の話があるから」と。
(あ、祖母は鬼籍ですよ)
しかし好奇心旺盛の小3、黙って2階で待っている訳もなく。
そろーっと階段を下りて、玄関と居間を仕切っているアコーディオンカーテンの隙間から覗きました。
私の角度から祖父は見えませんでしたが、正座で俯いているクソ実父、その隣にいるであろう母がいました。
子どもながらに「あ、これはやべーやつだ」と思い、トイレに行くふりをしてそそくさと2階へ戻りました。
このあとは恐らくトントン拍子に話が進み、両親は離婚しました。
(後から知りますけど、このとき母は探偵を雇っていたようです)
私と弟の親権は当然母。
実は母には「とうちゃんとママが別々に暮らさないといけないとして、どっちについてくる?」と聞かれていました。即答で「ママ!」ですけど。弟は乳児だし。
暮らしていたアパートは引き払い、私たちは母の旧姓で、母の実家で暮らすことになりました。
アパートからは先にクソ実父が出ていきましたが、そのときに私を抱き上げられたのが忌まわしい記憶です。
当時、両親には離婚するとは言われずに「とうちゃんは遠くへ出張に行く」とかなんとか言われてたんですけど、クソ実父が私を抱き上げるのを見て母は泣くし、私はなんのこっちゃだし。
今だから言いますけど、全部お前(クソ実父)の蒔いた種じゃろ???お前が浮気なんぞせんかったらこんなことになってないんじゃけど????
その後母の実家で暮らすようになって、弟は1歳で保育園へ入り、私は小3の冬に転校することになって妙な時期の転校生として紹介され、母は就職して、家族3人頑張っていました。
このころ、基本アホの子の私が母に「ねえ、ママは未亡人になったの?」と何度か質問攻めしていた記憶。今すぐそれをやめろ。