父親との確執について(1)
どうも、むうこです。
今回は私のクソ実父について記録していきます。
”記録”という観点でみると長いうえに複雑な内容、かつ人を選ぶ内容となると思われますので、
「あ、無理だわ」
と思ったら即閲覧終了していただいて構いませんので。
自衛してくださいね。
ないとは思いますけど、「こんなん読みたくない!」とかの苦情は受け付けませんからね。
あ、あとこれもないと思いますけど、本記事に関する一切の質問は受け付けません。
ここに書いてあることが全てです。
さて、前置きが長くなりましたが、本編にまいりましょう。
私のクソクソ実父は2018年現在50代前半、痩せ型の眼鏡です。
しかし母が二度目の引導を渡す少し前から姿を見ていないので、今はどうなっているのか知りませんし、知りたいとも思いません。
というか、音信不通です。一切合切消息不明。
遡ること数十年前の初夏、私が8歳のときに弟が生まれました。
私は暢気に「弟だ~赤ちゃんだ~」なんて思っていたのですが、両親はおだやかではなかったようです。
弟にとって初めての冬、私は母と弟と3人で車に乗っていました。
母は黙って車を走らせています。
とあるアパートの前で最徐行になり、
「……とうちゃんって、あんなGパンの干し方しないよね」
と独り言のように呟くと、さーっとまた走らせて帰路につきました。
※この時の、物干し竿に通して干されているジーンズ
少し経ってから、家族みんなで母の実家へ行きました。
しかし、両親と祖父は1階、私は2階へ押しやられました。
「大人の話があるから」と。
(あ、祖母は鬼籍ですよ)
しかし好奇心旺盛の小3、黙って2階で待っている訳もなく。
そろーっと階段を下りて、玄関と居間を仕切っているアコーディオンカーテンの隙間から覗きました。
私の角度から祖父は見えませんでしたが、正座で俯いているクソ実父、その隣にいるであろう母がいました。
子どもながらに「あ、これはやべーやつだ」と思い、トイレに行くふりをしてそそくさと2階へ戻りました。
このあとは恐らくトントン拍子に話が進み、両親は離婚しました。
(後から知りますけど、このとき母は探偵を雇っていたようです)
私と弟の親権は当然母。
実は母には「とうちゃんとママが別々に暮らさないといけないとして、どっちについてくる?」と聞かれていました。即答で「ママ!」ですけど。弟は乳児だし。
暮らしていたアパートは引き払い、私たちは母の旧姓で、母の実家で暮らすことになりました。
アパートからは先にクソ実父が出ていきましたが、そのときに私を抱き上げられたのが忌まわしい記憶です。
当時、両親には離婚するとは言われずに「とうちゃんは遠くへ出張に行く」とかなんとか言われてたんですけど、クソ実父が私を抱き上げるのを見て母は泣くし、私はなんのこっちゃだし。
今だから言いますけど、全部お前(クソ実父)の蒔いた種じゃろ???お前が浮気なんぞせんかったらこんなことになってないんじゃけど????
その後母の実家で暮らすようになって、弟は1歳で保育園へ入り、私は小3の冬に転校することになって妙な時期の転校生として紹介され、母は就職して、家族3人頑張っていました。
このころ、基本アホの子の私が母に「ねえ、ママは未亡人になったの?」と何度か質問攻めしていた記憶。今すぐそれをやめろ。