【ハミダシ】塾の受付事務バイト
どうも、むうこです。
ふと思い出したので、数年前にやってたアルバイトのことについて少しだけ記録しておきます。
タイトルにもありますが、やってたのは中学生・高校生向けの大学進学塾の受付事務です。
中学生は中高一貫校の生徒のみで、高校受験のお勉強ではなく大学受験を見据えたお勉強をさせていました。
生徒たちもまあ、いいとこのご子息やご令嬢っぽくて。慶應幼稚舎出身とか、双葉学園とか、双子で中学から私立ですとか、そんな感じの。
羨ましいのう……
当時の私はしがないフリーターだったのですが、年齢も考慮するとそろそろきちんと就職したいな……という頃合。
私の担当していた仕事は、受付の通常業務に加えて、経理と採用とその他雑務。ほぼ全てですね。
採用試験は講師も事務もやりますが、講師だとそれぞれ担当教科を決めなければならないので、得意科目で2問、過去の模試を受験してもらっていました。
講師に応募してくるのは、基本的には大学生が多いんですが、たまにプロ講師がきます。
で、御多分に洩れず"その日"もプロ講師が採用試験に来る日でした。
現れたのは40代半ばくらいの、少し頭皮の薄くなった男性。試験自体はある程度集団で受けてもらうのですが、この人が一番遅く来ました。
私は案内をしてその人の準備が終わるのを待ち、全員に当日の流れを説明して、問題用紙を配りました。
試験は滞りなく終了して、結果としてその男性にはお祈りメールをしました。
(筆記試験を合格したら面接に進むため個別に電話しますが、不合格者にはメールのみでした)
すると、その男性から返信がありました。お祈りメールに返事を送るなんて心臓のタフな奴です。
要約すると、
「一目惚れしたので結婚を前提にお付き合いしてほしい」
目玉が飛び出ました。
20代前半の私に?40代半ばを過ぎた人が?求婚?
馬鹿なの?
いや、え?馬鹿なの?
ちなみに、勿論メールは私個人のアドレスではありません。採用アカウント用のアドレスです。
***-recruit@とかなんかそんな感じです。
閲覧も私だけでなく、当然社員や他の採用担当者も見ることができます。
というか、そもそも私には彼氏(今の夫)がいますし、その人は私の親と年齢が近いです。
いやー……無理すぎる。
変に刺激したら嫌なので、メールにはお触り禁止で反応せず、社内でちょっと笑い話にしてました。
(というかデリカシーない社員が声高に言いふらしててムカついた)
その後少しして辞めるんですけど、私が辞めた後も同じ人からメールが来たそうで。
怖すぎるんですけど。
大好きなおばあちゃん
どうも、むうこです。
今回は母方の祖母について書いていきます。
大好きなおばあちゃん。呼び方はババでした。
いつもにこにこ、優しそうな笑顔で、何回でも絵本を読んでくれて、あったかい声で名前を呼んでくれて。
本当に大好きでした。
祖母は肺がんだったので、国立がんセンターに入院していました。
とある雨の日の夜、付き添っていた祖父から母が呼び出されて「ちょっとババのところ行ってくるから、いい子で留守番してて」と車で出かけていってしまいました。
夜と言っても22時頃とかだったと思います。父は出張か何かで不在。4歳児に突然のお留守番は心細すぎます。
私は何を思ったのか、パジャマのままレインコートに長靴、傘を装備して病院へ向かっていました。
病院は大人の足で徒歩30分くらいです。
道中、何度か引き返そうとしたり、三輪車に乗った方が早い!とか考えたりしてました。
そうこうして病院に着き、祖母の病室へ向かいます。よく覚えてますねこの4歳児。
果たして、病室に母はいませんでした。いるのは祖父母です。母とは途中で入れ違いになったようでした。夜間なのでこちらに気付くこともなく。
祖父が再度電話で「おい、むうこきたぞ!?」と母を呼び出し、とんぼ返りしてきた母に怒られはしなかったものの、物凄くびっくりされました。
幼児だった私は知る由もありませんが、多分祖母は何度か手術をしたあとで、抗がん剤の影響でカツラをしていて(ケースに入ったカツラ自体は見たことがあります)、それでもやはり治癒には至らなかったのだと思います。
病室で親族に囲まれ、祖父の呼びかけにも応じなくなった祖母、何度も祖母を呼ぶ祖父を止める叔父、の光景を覚えています。
その後は流れるようにお通夜、告別式、火葬、骨を壺に入れて、火葬場の人が頭蓋骨を砕いて、お墓に納骨。
お通夜はいわゆるセレモニーホールでやりましたが、たくさんの人が来ていました。
母曰く「ババは人気者だったからね」と。
ねえババ。あなたの初孫が初曾孫を産んだよ。ババにも抱っこしてほしかったな。
もっとババと話したかった。もっと絵本読んでほしかった。
ババが生きていれば、ってことがたくさんあったよ。
今更こんなこと言ったって仕方ないけど。でも言わずにはいられないよ。
ねえババ、大好きだったよ。
ありがとうね。
幼少期
どうも、むうこです。
今回は幼少期のころについて書いてみます。
平成の文字が掲げられてから数年後の10月、千葉県の片隅で生まれました。
出生体重は2,800gくらい。まあフツーの健康体です。
2〜3歳頃、翌日に友達と遊ぶ予定があった私は、ふと夜中に目を覚まし、父も母も起きる気配がないと分かると、自然な動きで母の財布から小銭を出して、洗濯カゴを逆さにして玄関に置き、洗濯カゴに乗って鍵を開けて、近所のセブンイレブンへおやつを買いに行きました。
このときハイチュウを買ったのを覚えてます。多分一番古い記憶。
そうしてそのまま帰宅して、自分の枕元にお釣りとおやつのハイチュウを並べて、再度就寝。
翌朝起きた両親は超びっくりしたそうな。
その後、はじめてのおつかいに出演させようとしたものの、練習で両親が付いてきてることを見破って未遂に終わったのはまた別の話。
それからは伸び伸び生きて成長して、4歳で父方の祖父母宅にほど近い幼稚園へ通い出します。
途中入園だったので割と緊張してました。幼稚園では先生に怒られてばかりだった記憶があります。
とある日は、教室の外(というか建物の外周?)に廊下があって、その廊下を歩いていくと職員室に行けてしまうんですが、ルールとしては「職員室は行っちゃダメ」だけど、私は職員室方面に廊下を歩いたため、学級委員(幼稚園なのに)が「せんせー!むうこちゃんがー!」と無事通報。
同じクラスの私が一番嫌いだったRちゃんも共犯だったので、2人一緒に何故か外のベンチの上で正座させられ、私たちの前には4人の先生方。
最終的に許されて4人の先生と握手しましたけど、膝から下についたベンチの跡が痛かった。
別の日には、同じクラスのSちゃんが「むうこちゃん、あそぼう」と誘ってきたので、何して遊ぼうかなあと考えて、ふと振り返ったら担任の先生とSちゃんがコソコソ話していて、先生が「むうこちゃんはイジワルだから」と言っているのだけ聞こえて。私の脳内は「???」一色。
とある夏の日に幼稚園で先生と面談があり、アイスを食べながら「幼稚園やめる?」なんて言われたり。
まあ、まだまだありますけど、そんな感じの幼稚園時代でした。
幼稚園以外では、
4歳くらいの頃に母方の祖母が54歳にして肺がんで亡くなったり、
翌年母方の曽祖母が風邪をこじらせて亡くなり、
父方の祖父母宅でカンガルーごっこしながら階段下りたらしこたま怒られたり、
父方の祖父母宅にて室内で新品の靴を履いてルンルンしてたら祖父に怒られて父が逆ギレして母が萎縮したり、
やっぱり色々ありました。
母方の祖母について、別のエントリーでもう少し掘り下げたいと思います。
はじめましての諸注意から
どうも、むうこです。
今までにもブログはいくつか書いた経験がありますが、久しぶりすぎて勝手がよく分かりません。
さて、このブログは私の生い立ちを記録するのが主目的です。
文章中である程度過激な表現だったり、倫理的に危ういものや犯罪スレスレのものが出てくる可能性がありますので、嫌悪感を覚えた方は、それ以上読まずにこのブログを閉じて、他のもっと面白く楽しいブログを読んで記憶の上書き保存をしてください。
また、このブログに掲載される文章は全て私の実体験に伴う事柄ですが、細部まで思い出せなかったり、特定を避けるためにほんの少しフェイクが入ることがあります。
いないとは思いますけど、「どこそこが矛盾している」などの突っ込みはやめてくださいね。
この辺で簡単に自己紹介をしておきましょう。
2018年時点で20代半ば、育休中の既婚子持ち兼業主腐です。
夫は4歳上、きゃわいい娘は0歳9ヶ月。
好きなことは映画鑑賞と美味しいものを食べること、好きな人とお酒を飲むこと。
嫌いなことはたくさんありますので割愛。
自分の中でとっ散らかったものを手繰り寄せながら、マイペースに更新します。
どうぞよろしくお願いいたします。